ガラスびん3R促進協議会
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ガラスびんの魅力探訪

きつ〜い炭酸の懐かしい味が大人気

株式会社 有馬片山幹雄商店
取締役
片山 康博 氏

「阪神淡路大震災」で観光客が激減した有馬温泉を盛り上げるために、
明治時代に人気を集めたサイダーが80年近い時を超えて甦る。

 日本におけるサイダーの起源は諸説ありますが、私の祖父や曽祖父の時代から、有馬温泉(神戸市北区)で湧き出ていた炭酸水に甘味料を入れて飲んでいた歴史があり、日本のサイダー発祥の地といわれています。

 その昔、炭酸ガスが噴き出す有馬の洞穴の中で鳥や虫が死んでいることがあり、有馬の湧き水は毒水として恐れられていたそうです。しかしながら明治時代初期に水質検査をしたところ、毒水どころか良質の炭酸水であることが分かり、「有馬鉱泉」という会社が設立され「有馬炭酸鉄砲水」として発売したそうです。これが甘い炭酸水の原点で、人気商品となり「有馬シャンペンサイダー」や「アリマサイダー」などのバリエーションが展開された後、総称して「有馬サイダー」と呼ばれるようになりました。しかし、この「有馬サイダー」を運んでいた旧国鉄の有馬線が廃線となり、流通経路が失われ工場は閉鎖。有馬温泉におけるサイダーの歴史はいったん幕を下ろします。

 それから80年近い時を超えて、「ありまサイダー てっぽう水(以下、ありまサイダー)」として甦るのは、全国に「地サイダーブーム」が押し寄せた2006年の4年ほど前のこと。「阪神淡路大震災」で観光客が激減した有馬温泉を盛り上げるために、私を含め8人の男たちが立ち上がりました。私たちは有馬温泉観光協会・青年部のOBであり、それぞれ地元の旅館や商店を営んでいます。

▲「ありまサイダー てっぽう水」

復刻当初は、旧三ツ矢サイダーや旧リボンシトロンなどのびんを借用。
5年後に新しいグリーンのびんを導入し、現在は薄いブルーのびんで展開。

 有馬温泉を再生させるために、8人で「合資会社有馬八助商店」を設立。いろいろなアイデアを出し合う中で、有馬温泉の新しい名物を作ろう!ということになり、たどり着いたのが「有馬サイダー」の復刻でした。サイダーは飲料ということで、酒屋を営む私が主立って新名物の開発に向け奔走しました。容器については、各地で再使用されずに残っていた旧三ツ矢サイダー、旧リボンシトロン、旧白扇サイダーなどのびんを調達して借用。中身のサイダーについては、「有馬炭酸鉄砲水」の再現しようと、強い炭酸にしました。

 レトロ感あふれるびんに入った懐かしい味の「ありまサイダー」は、商品開発にこだわった結果、有馬温泉の新名物となりました。しかし販売本数が増えることで、再使用していたびんが劣化したり、回収できないびんが増えたりして、半数近くまでびんが減少してしまいました。そこで、2006年に新しいグリーンのびんを導入。さらに2008年からすべて薄いブルーのびんに移行しました。

 現在、「ありまサイダー」は、有馬温泉内の旅館、飲食店、土産物屋など約40軒で販売されており、5年連続で年間約30万本を売り上げています。有馬温泉内には「ありまサイダー」を扱った自動販売機も設置されており、またラッパ飲みしながら歩く観光客もいて、まさに温泉名物となっています。

▲「ありまサイダー」を扱っている自動販売機

長い歴史がある有馬サイダーを復刻させる際、
容器は絶対にガラスびん!それ以外は考えられませんでした。

 「地サイダーブーム」の火付け役といわれた「ありまサイダー」ですが、ブームが去っても人気は衰えませんでした。その理由は、「ありまサイダー」には間違いなく長い歴史があるからなのです。明治時代に誕生してから、いったんは生産されなくなり忘れ去られてしまうのですが、約15年前に私たちの手で復刻させたという流れの中には、脈々と「有馬炭酸鉄砲水」の懐かしい味が引き継がれています。それが「ありまサイダー」の魅力の一つです。復刻させる際に容器の選択肢としてPETボトルや缶もあったのですが、復刻に携わった8人のメンバー全員一致でガラスびんに決定!それ以外考えられませんでした。

 風呂上りに腰にタオルを巻いて、サイダーをぐいっと飲んで、きつ〜い炭酸を味わうイメージは、片手にびん入りサイダー、もう片方の手は腰にということなのです。やはり「ありまサイダー てっぽう水」の容器は、絶対にガラスびんですね。

株式会社 有馬片山幹雄商店
取締役
片山 康博 氏
▲「ありまサイダー てっぽう水」
▲「ありまサイダー」を扱っている自動販売機